そして夏休みが終わり、始まったんです。
あの辛く重苦しい毎日が・・。
2学期が始まって間もなく、小学6年生だった次男が朝になると頭が痛いと言ってきました。
ちょうど台風が来た直後か何かで、それまでも気圧の変化に弱かったこともあったので少しだけ体調を崩したんだな~くらいで一日家で休んだら元気になるだろうと考えていました。
翌日になってもまだ具合が悪い様子。
翌々日も・・。
さすがに熱も無いようだし、もう大丈夫だよね?!
少し嫌な予感がしました。
このまま休み続けたら学校に行けなくなってしまう・・!
焦ったわたしは「どこも悪いところないよね?学校行かないと!」と準備をさせました。
だけど、なんとか準備はしたものの、玄関で靴が履くことが出来ず・・その場に立ち尽くして泣き出してしまったのです。
「どうしたの?学校で何かあったの?」
責めるような口調で尋ねましたが何も答えませんでした。
わたしはこの状況に冷静さを欠いていました。
その様子を見ていたモトオは次男をハグして「休んでいいよ」と言いました。
簡単に言わないでよ!と正直思いました。
このまま学校に行けなくなったらどうするの?!と。
結局その日も学校には行けず、ずるずると欠席が続くことになります。
次男に学校に行けない理由をいくら聞いても話しませんでした。
担任の先生に相談してみましたが、特に学校でいじめられていたり何かあったということも無いようでした。
わたしは絶対原因があると思っていました。
何かあったからこんな状態になってしまったんだと。
朝、少しでも調子がよく見える日は、登校出来ないか声掛けをしたりする日もありましたが結局行くことが出来ず、わたしは焦りを感じていました。
まさか・・このまま学校に行けなくなったらどうしよう・・・。
次男の件について、モトオは本を読んで起立性調節障害だと断定していました。
だからゆっくり家で休ませて充電出来たらまた自分から学校に行くようになると。
でも、起立性調節障害は自分の意志で起きたいと思っても起きられない病気で次男は学校に行きたくないから起きられないんじゃないの?わたしはそこが納得が出来ませんでした。
病院に連れて行くと起立性調節障害ではなく起立性低血圧との診断でしたが、処方された昇圧剤を飲ませるのはモトオに止められました。
病院での診断が下らなくても起立性調節障害だと断定するモトオとどこか納得出来ないわたし。気が済むまで休ませればいいと言うモトオと長引けば学校に戻れなくなると焦るわたし。
この頃は完全に夫婦の考え方がバラバラでした。
次男は今は学校をたくさん休んでいるだけで、不登校まではまだいってない。
早めに対処すればまだ間に合う。休ませ続けたら取り返しがつかなくなってしまう。
そう考えるわたしをモトオは蔑んで見ていたと思います。この人は何を言っても無駄な愚かな人だと。
この頃、わたしは自分の方が常識的な考え方をしていると思っていました。
モトオはかねてから マジョリティ=正しい ではないとの考え方を持っていたこともあり、学校を休ませることにも比較的理解があったのだろうと思います。
わたしは意見が違ったとしても、それでも夫婦で一緒にこの問題を乗り越えて行くものだろうと思っていました。